昭和三六年、河太郎は日本で初めて
「いけす料理屋」をはじめました。
料理人であった初代 古賀 光謹(こが みつのり)が、
呼子で漁師をしていた友人の船に乗り、
玄界灘で釣りたてのやりいかを初めて捌いた際、
その活きのよいいかの透明な輝きと、
歯ごたえのある美味しさに驚愕したのがきっかけでした。 この美味しさを多くの人たちに知ってもらうために、
日本で最初のいけす料理屋をはじめたのでした。
呼子 玄界灘で獲れた鮮度抜群のいかをどうやって、
活きの良い状態のまま、あの船の上で食べた時のように
捌きたてで、お店でお出しできるのか。
試行錯誤を重ね、活きたいかを鮮度を保ったまま、
お客様にお出しできる設備を整え、職人を育ててきました。
ここ呼子店は港に面しているため、獲れたてのいかを
時間を要せずして、即お客様へお出しできる
最高の場所です。
河太郎には創業より変わらぬこだわりがあります。
「お客様に鮮度抜群の活きたいかを召し上がっていただくこと。」
そのために、いかが生息していた海水を店舗内のいけすへ
運搬し(※温度管理された水槽)、海水はほぼ毎日入れ替えするなど、
水質管理を徹底していかの鮮度を保つための変わらぬ努力を
続けております。
また職人は、いかの鮮度・旨味・甘味を余すことなく引き出すために、
「触らない調理」を徹底。お客様からご注文が入ってから、
いけすより網を使っていかを引きあげ、まな板にのせて捌く瞬間しか
いかに触らない調理法を習得しております。
お客様がお召し上がりになるまでにいかに触れるのは、一度だけです。
創業者の古賀光謹(こが みつのり享年89歳)は、
福岡県福岡市中洲に「河太郎」を創業。
当時は透き通った活きたいかが
いけすで泳いでいる姿は珍しく、
関東や関西から来られるお客様をもてなす
「いけす料理屋」として賑わいました。
活魚の中でも、いかはとても繊細なため、水質も綺麗でなければなりません。
いかに、綺麗な海水を保ち続けるか。
試行錯誤の末、辿り着いた答えは基本に忠実であること。
いかが生息していた海水を輸送・浄化した後に、水質・温度管理を徹底したいけすへと移すことにしました。
この方法により、環境の変化が少なくストレスも抑制されたいかや活魚は、味が落ちることなく、活きの良さを保ち続けられるのです。
いか本来の旨味・甘味を余すことなく引き出す熟練の職人技。いかは、水温や環境の変化でストレスを感じやすい活魚です。
そのため、鍛錬により技を極めた職人が、お客さまからオーダーをいただいてから、いかにできる限り触れずに素早く捌いていきます。